お金
ばあちゃんは「お金」という偶像に支配されてる感じがする。
昔は叔母さんがそうだと思ってたけど、おばあちゃんがこうだから叔母さんがああなったのではないかと思えてきた。
喧嘩したときに「お前なんていなくても私にはお金があるんだ!」みたいなことを言われた。
昔1億円頑張って貯めたらしい。
そのうち3000万くらい着物と習い事に使ったらしい。(叔母さんの分析だと、おそらくここ5年間で)
散々私の母を馬鹿にしておいて、やってること変わらないじゃないかと思った。
私の母は変な宗教に収入のほとんどを献金していたが、それと何が違うんだろう。
私から見たら宗教も着物もパチンコも全部趣味で、同じものだ。
それそれが大切にしてるもの、楽しいと思うものが違うから、どれにどれだけお金を使うかが違うだけで、私から見たら全部くだらない、何でそんなことにお金を使うのか?ということばかりだ。
人から見たら私のお金の使い方だって、何でそんなことに使うのか?ってことがたくさんあるだろう。
それはその人と私は違う人間で、価値観が違うからだ。
着物なんて最終的にゴミになるんだから、そんなもの買うなら生活の中で不満に思っていることを解消するために使えばいいのにと思う。
3000万もあったらなんでもできるだろう。
なんでお金があるのに、お金がない私から何だかんだ言ってお金を取ろうとするんだろう。
そのくせ「いくら出せば気が済むのさ」って言ったら「お金なんていらない!」って言う。
おばあちゃんが本当に欲しいものは何なんだろう。
おばあちゃんを見てると神様がいない人ってこうなっちゃうんだってすごく思う。
みんなイエス様に出会えば解決するのに。
ちょっと手を伸ばせば届くのに、出会えない人が多いのは何で何だろう。
何で私は出会えたんだろう。
神様私に出会ってくれてありがとう。
私の足りない部分をあなたが補って、満たしてくれること感謝します。
これからの人生もあなたに委ねて生きて行きます。
どうかおばあちゃんにもこの平安が訪れる時がきます様にお祈りします。
どうかあなたが、私と私の家族を憐んでください。
御慈しみをもって、背きの罪をぬぐってください。
私の咎をことごとく洗い、罪から清めてください。
主イエスの御名を通してお祈りします。アーメン。